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環境の変化がパワーを引き出す。

私のこれまでの人生を振り返ってみると、いつも自分の環境を変えることで、活力をもらったような気がしています。自ら、そのような転機を作り出すことで、パワーを強引に引き出すというのが、自堕落な自分には合っているのかもしれません。オフィス環境もまさにそれ。環境の変化が必ずワーカーの意識を変えさせるものと確信しています。

少年期

城下町松江で育つ
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私は1953年2月3日、島根県松江市にて一男一女の長男として生まれました。実家は近くに宍道湖を望み、シジミ漁が盛んなところです。宍道湖では、早朝、木船が朝もやの中でザルをすくう、のどかな湖面の風景が繰り広げられます。市街地では、江戸時代さながらの武家屋敷や市内を縦横に走る堀川が、のどかな城下町の風情を醸し出しています。
 

想定外だったデザイナーと言う職業

 私は小さい頃よく漫画を描いていましたが、絵について全く興味はありませんでした。高校は松江北高校という進学校でしたが、あまり勉強しなかったこともあり、明治学院大学の経済学部商学科に進学。将来の方向性について定まらないまま、4年を過ぎそうになると、「このままでいいのだろうか?一般的な会社員として生活していく自分の姿がどうしても描けない。」と、卒業後無謀にもデザインの専門学校に通い始めたのです。落胆したであろう親の懐の深さには、今でも感謝しています。

社会人期

3社での貴重な経験と更なる模索の開始
 専門学校卒業後に入った小さな店舗設計施工会社での3年間の下積み時代を経て、移った次の会社では、店舗デザイン以外に店舗什器の開発も担当しました。そこで私はデザインのみならず、マーケティングやカタログツール・展示会などトータルに関わる機会を得ました。そして什器開発の責任者となり、ここで11年間を過ごしますが、年間のスケジュールを繰り返す毎日にマンネリを感じ始めます。
IMGP3517.jpg ちょうどそんな時、オフィスデザイン事業の新規立ち上げに参画しないかという話が舞い込んできました。当時私は38歳、不安が無いといえばウソになりますが、新しい環境での自分の可能性に賭け、1992年、あるメーカーに移籍します。…というと聞こえはいいですが、最初の頃はデザインだけでなくあらゆる仕事を引き受けて、営業のバックアップをする毎日で、全く話が違うのではないかという思いでした。それでも乗った船である以上、やるしかないという思いで、部の確立を目指します。そして2003年、やっとデザイン課が部に昇格します。
 しかし、私は徐々にメーカーという枠の限界を感じ始め、デザイナーとしての原点を強く意識し始めている自分に気が付いたのです。特にそのころ、私は、すでに54歳になっている自分の残された時間のことを考えるようになりました。また、ITの変革がデザインの方法を変革させるべきではないかと漠然とした思いもあり、「60歳でこの会社の定年を迎えた時、自分には何が残っているのだろうか?」と、2007年退社を決意します。それから、デザインワークのプロセスや提案スタイルのあり方について、3D-CADをベースにして研究模索をし、2008年デザインラボ・ハラを立ち上げるに至ります。

社外の研究活動の成果が刺激剤

 ニューオフィス推進協議会の研究部会のメンバー(1992年~2005年)として、オフィスの生産性向上関連の部会(経済産業省の外郭団体)に参加していました。そのオフィス研究の成果はデザイン活動にも取り入れました。あまり、活発な活動はできませんでしたが、ここでいろいろな業界の考え方を知ることができたのは私にとって大きな収穫でした。当時の部会でまとめた数々の研究報告書には私の名前が結構載っています。が、半分程度は会社の仕事に追われて、満足に活動できない部分があったりして、あまり、優秀なメンバーとは言えなかったことが悔やまれるところです。

刺激を与えてくれた海外視察

Image127-2.jpg 店舗デザイン時代の ヨーロッパ視察(1990年)において、ガウディやミラノの街をこの目で見るまたとない機会を得ることができました。この旅行でデザイナーの感性が大いに刺激され、実際にその年の開発の製品にはその経験が色濃く反映された製品ができました。
 そして、移籍した1992年にはシカゴの見本市やトロントのオフィスメーカーを視察し、オフィス家具の現状を把握します。全くオフィスの業界については無知とも言っていい私にとって、この視察は、日本のオフィスが持つ課題や将来的な展望を理解するいい機会でした。
 さらに2002年のニューオフィス推進協議会の「アメリカのオフィス事情の視察」には、「アメリカの現状を知りたい。」と自費で参加しています。当時参加していた部会のテーマが「アメリカのオフィス事情」と言うことで、ツアーをすることが前提になったような部会だったこともあり、アメリカの現状は知りたいという思いがありました。
 しかし、アメリカの現状は、9・11の後の後遺症か、かつて進んでいたと思われるオフィスはむしろ現状維持すらできず、後退している感が強く、正直(サンプルの選定に問題があったということもありますが、)少し、がっかりした思いが残りました。むしろこの視察で世界でNO.2(IA社)といわれるデザイン事務所とのミーティングに参加できたことが大きな収穫と言っていいでしょう。この時の視察経験が私のオフィスデザインの考え方を大きく変えるきっかけになり、「ワーカーの意識変革には、絶対的にオフィスデザインの役割が欠かせない。」という確信につながっています。


私生活

忙しい共働き生活

 最初の会社に入社した年に結婚しました。そして3年後に二番目の会社に入社すると、数ヵ月後に最初の子供(長男)、その五年後に二人目(長女)を授かっています。「共働きをしながらの子育て」という新しい生活環境は、親として、人間としての大きな成長の機会でした。あわただしい毎日でしたが、親や近隣の人の助けで何とかやって来れたと言う感じです。今我々があるのは周囲の皆様のおかげだとつくづく感じます。

唐突な趣味
IMGP0443.jpg 私は33歳でウィンドサーフィンを始めています。メリハリのない日々の暮らしに「このままでいいのか?」と、28歳ぐらいのころ触った程度だったウィンドサーフィンに再挑戦したくなったということです。一時は3艇も所有するほどのめりこみましたが、現在では仕事の忙しさにかまけて、1艇を記念に残し徐々に眺めるだけとなってしいました。そうして、空白の10年があっという間に経ってしまったのです。しかし、まだあきらめてはいません。きっとまた?
 また、ウィンドサーフィンを始めるようになってから、水に対して特別なものを感じるようになりました。その影響からか、渓流や滝を見たり、海水の水槽や水草水槽などに凝ったりした時期もありました。今でも部屋の片隅にちっちゃな水槽が鎮座しています。
 老後は海のそばに住めたら最高です。

教訓としていること

「すべての事象はわが心の反映なり。」
何事も、人のせいにすると解決のしようがないが、原因はいつも自分にあると思えば、何がしか解決する方法は見つかるのではないかと思っています。